「中国を読む」から「アジアを読む」へ 


                      

 今月から、本欄のタイトルが「中国を読む」から「アジアを読む」に変わりました。理由は、いつもご覧いただいている方々から「もうこれは中国じゃなくて、アジアでは?」というお声を頂いたから。ええ、書いている私もずっとそんな気がしていました、ごめんなさい。締め切りさえ勝手気ままな原稿を受け入れて頂き60数回、気が付けば、原稿の内容は「中国」から「アジア」へ…。

 初めて中国へ出かけたのは7年前。JTBのツアーに参加しただけのシルクロード2週間は、私にとってはかなりな冒険でした。理由はたったひとつ。自分の価値観が底から覆されたから。

 もともと未だに東京を離れて暮らしたことがなく、狭い世界にしか生息していない私。その前の年に、北海道・網走で流氷を見て「この海が日本?!」とのたまい、連れてきてくれた北海道出身の友達と絶交直前までいった経験を超えて、さらにシルクロード、エリア的にはウィグル自治区は衝撃的でした。

 いやいや、ウィグル自治区が、ではなかった。その旅行先の人々の生活が、自分の生活とは異なるという点が衝撃的でした。町からホテルまでの夜道に、ひとつの電灯もなく、空に、これぞ本当に満天のというべきミルキーウェイが広がっていた、そのことだけでも、ショックでした。

 飛行機で数時間いった先の人々は、私の持っていない宗教を大切にし、市場には羊の首が転がっており、豚の死骸、犬の開きが普通に売っている。それは、本当に衝撃でした。

 あのときの衝撃が、私を中国にぐっと引き寄せ、その後何度か中国に足を運びました。でも、あのときほどの衝撃を得ることは一度もありませんでした。飛行機で20数時間かかる国へ行っても、ありませんでした。

 今では、あの旅は、初めて異なる世界に触れて得られた貴重な経験だったのだと。少しずつ私もアジア全般に目が向くようになり、そうなると、世界はすべて繋がっているような気になってくるもの。

 ただ、その繋がっている感が、読書や旅行でしか得られない自分の鈍さや自分の世界の狭さが哀しくもあり。でも、あの中国との「出会い」があって、「わんりぃ」との「出会い」があったわけで。私にとっての大切な「何か」は中国から始まったんだと、改めて感謝したりして。

 以上、本欄が「アジアを読む」になった言い訳?でした。今後とも、なんとなく目を通していただけましたら嬉しいです。



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